100年の歩み- since1919 -

日本の冷蔵業界黎明期に誕生した寳船冷藏は、
冷蔵倉庫の発展とともに歩んできました。
食品低温流通は日常生活に重要な存在であり、
当社も皆さまのために、その社会的責任を全うしていきます。

第一章
1919
1945

寳船冷藏の創業、
戦前の事業発展。

一九一八年に発生した米騒動を機に、食料保管の重要性が認識された大正時代。寳船冷藏の前身・山田商店は、鶏卵の卸専業の企業。夏場の鶏卵の長期保存を考え、日本初の本格的な冷蔵倉庫を建設することを決意しました。
一九一九年大阪市西区に寳船冷藏株式会社を設立、一九二一年に堀江工場完成。その後、鶏卵以外の生鮮品保存も取り扱うことに。青森のりんご、大阪河内地方のぶどう、三陸地方のちくわを取り扱い、事業を拡大。商品は鶏卵、鯨、塩干類、牛肉、果実など広範囲にわたりました。
関東大震災、日中戦争の最中、冷蔵倉庫業界は需要が増大。当社も倉庫を竣工、増築し事業を発展させていきました。

1918年に発生した米騒動を機に、食料保管の重要性が認識された大正時代。寳船冷藏の前身・山田商店は、鶏卵の卸専業の企業。夏場の鶏卵の長期保存を考え、日本初の本格的な冷蔵倉庫を建設することを決意しました。
1919年大阪市西区に寳船冷藏株式会社を設立、1921年に堀江工場完成。その後、鶏卵以外の生鮮品保存も取り扱うことに。青森のりんご、大阪河内地方のぶどう、三陸地方のちくわを取り扱い、事業を拡大。商品は鶏卵、鯨、塩干類、牛肉、果実など広範囲にわたりました。
関東大震災、日中戦争の最中、冷蔵倉庫業界は需要が増大。当社も倉庫を竣工、増築し事業を発展させていきました。

1919

「寳船冷藏株式会社」を設立

寳船冷藏設立時のメンバー

1921

堀江工場の完成

創業時の堀江工場

1936

野田工場 本館の完成

野田工場。エレベーターを導入し荷物を上下に移動させる作業は、当時珍しかった

1937

日産60tの製氷を開始

製氷会社を譲り受け「築港工場」と名付けた

第二章
1946
1970

戦後の復興、
高度経済成長期の発展。

太平洋戦争終戦後、連合軍が野田工場を接収。進駐軍からは保管料が支払われたため、当社はいち早く経営を安定させることができました。
一九五八年に新町工場を、一九六二年に港工場を建設。一九六二年には大阪で第一号の港湾冷蔵倉庫となる港工場が完成しました。
一九六〇年代の高度経済成長には、消費者から「美味しく栄養あるもの」へのニーズが高まり、冷蔵倉庫の重要性もますます大きくなりました。畜産物の輸入が急増し、冷蔵倉庫の大型化も進行。
近代的な冷凍設備の導入だけでなく、オペレーションのために出庫処理のコンピュータープログラムを作成。業務が導入以前の四~五倍効率化されました。

太平洋戦争終戦後、連合軍が野田工場を接収。進駐軍からは保管料が支払われたため、当社はいち早く経営を安定させることができました。
1958年に新町工場を、1962年に港工場を建設。1962年には大阪で第一号の港湾冷蔵倉庫となる港工場が完成しました。
1960年代の高度経済成長には、消費者から「美味しく栄養あるもの」へのニーズが高まり、冷蔵倉庫の重要性もますます大きくなりました。畜産物の輸入が急増し、冷蔵倉庫の大型化も進行。
近代的な冷凍設備の導入だけでなく、オペレーションのために出庫処理のコンピュータープログラムを作成。業務が導入以前の4~5倍効率化されました。

1947

戦災により大破した堀江工場の復興

復興第1号の堀江工場

1958

新町工場の完成

新町工場(収容能力3,200t)

世界最大の捕鯨国

1950年代の終わりごろ、日本は世界最大の捕鯨国となり、当社工場も毎年春先は夜を徹した入庫作業が続いた。冷凍された鯨肉は1片20kgあり、積み上げるのは大変な重労働であった。入荷のピーク時は全社総出での作業となり、特別支給の「鯨ボーナス」も出たほどだった。

鯨肉(昭和33年、新町工場)

1966

野田工場新館完成

政府が主導する「コールドチェーン」構想を受け、野田工場の冷凍施設は全自動方式で、エアカーテンを装備。日本全体のコールドチェーン確立の一端を担った

第三章
1971
1990

安定成長下での
事業展開の躍進。

一九七〇年代には二〇〇海里問題、EEZ(排他的経済水域)で日本の漁業に大きな影響があり、保管の主体が水産物から畜産品へと変動。
流通のマーケティングが進化し、大手スーパーやコンビニエンスストアではPOSが導入されました。これによりリアルタイムで売れ筋状況を把握。ジャストインタイムの納入需要が求められます。出庫オーダーから短時間でピッキングし品揃えを行い配送納品するために、コンピューターの導入など、機能のパワーアップとシステムの改革を進めました。
冷蔵規模も増強し、大阪市南港食品埠頭に日本最大の規模となる近代的冷蔵倉庫を建設。その後も大増築工事を行い、全国第四位(当時)の冷蔵倉庫会社となりました。

1970年代には200海里問題、EEZ(排他的経済水域)で日本の漁業に大きな影響があり、保管の主体が水産物から畜産品へと変動。
流通のマーケティングが進化し、大手スーパーやコンビニエンスストアではPOSが導入されました。これによりリアルタイムで売れ筋状況を把握。ジャストインタイムの納入需要が求められます。出庫オーダーから短時間でピッキングし品揃えを行い配送納品するために、コンピューターの導入など、機能のパワーアップとシステムの改革を進めました。
冷蔵規模も増強し、大阪市南港食品埠頭に日本最大の規模となる近代的冷蔵倉庫を建設。その後も大増築工事を行い、全国第4位(当時)の冷蔵倉庫会社となりました。

1973

日本初の自動冷凍倉庫 竣工

自動冷凍倉庫スタッカークレーン

1975

コンピューターによる事務処理の再検討

請求書の自動発行及び給与計算、年末調整のプログラムを開発。当社独自のシステム開発のために、コンピュータ会社の協力を得ながら、ノウハウをマスターしていった。1979~80年には、各工場に「不定貫出庫重量入力システム」を導入。

1979

南港食品埠頭に日本最大の
近代冷蔵倉庫 竣工

南港工場基礎工事

第四章
1991
2010

平成不況の中で、
新たな時代への対応。

バブル崩壊後、大都市圏では荷動きが悪化。また自然環境の悪化でフロンによるオゾン層の破壊が問題となり、モントリオール議定書締結国会議でフロン冷媒の規制強化が決定。これは冷蔵倉庫業界全体の問題となりました。
当社は常に「求められる倉庫」であり続ける努力を重ねました。その成果のひとつがコンピューターによる全工場オンライン化の実現。一九九一年、すべての工場を集中管理する電算室を開設。在庫管理や本社の経理管理を行うとともに得意先からオーダーを受け、工場に指示を出すことができました。港工場の冷凍食品専用の倉庫では、全自動コンピューター制御の集中監視システムで、機器の運転状況や温度情報を監視し温度や圧力などを自動的に設定。迅速でスムーズな入出庫処理と管理が、一層整備されました。
一方二〇〇二年には倉庫業法が改正され、規制緩和が進行。二〇〇五年には物流総合効率化法が施行され、倉庫専業以外の物流事業者が冷蔵倉庫事業へ参入し、競争が激化。全社を挙げての作業の合理化、作業品質の向上、経費見直しによるコストの削減努力は、現在も続いています。

バブル崩壊後、大都市圏では荷動きが悪化。また自然環境の悪化でフロンによるオゾン層の破壊が問題となり、モントリオール議定書締結国会議でフロン冷媒の規制強化が決定。これは冷蔵倉庫業界全体の問題となりました。
当社は常に「求められる倉庫」であり続ける努力を重ねました。その成果のひとつがコンピューターによる全工場オンライン化の実現。1991年、すべての工場を集中管理する電算室を開設。在庫管理や本社の経理管理を行うとともに得意先からオーダーを受け、工場に指示を出すことができました。港工場の冷凍食品専用の倉庫では、全自動コンピューター制御の集中監視システムで、機器の運転状況や温度情報を監視し温度や圧力などを自動的に設定。迅速でスムーズな入出庫処理と管理が、一層整備されました。
一方2002年には倉庫業法が改正され、規制緩和が進行。2005年には物流総合効率化法が施行され、倉庫専業以外の物流事業者が冷蔵倉庫事業へ参入し、競争が激化。全社を挙げての作業の合理化、作業品質の向上、経費見直しによるコストの削減努力は、現在も続いています。

1994

咲洲工場開業(51,500m³)

得意先とのデータ交信網を緊密化した
咲洲工場

2007

港工場に於いて通関業務を許可

本業の幅を広げる「通関業務」と「配送業務」2部門の業務展開をスタート

2009

港工場 大阪港物流センター開業
(54,400m³)

大阪市が出資する大阪湾埠頭ターミナル(株)が建設した冷蔵倉庫の運営を受託。

第五章
2011
2022

次の一〇〇年に向けて、
限りない挑戦のために。

時代に合わなくなった老朽化施設の解消を進め、二〇一八年には堀江工場を閉鎖。この工場は当社発祥の地でしたが、市街中心地に立地しているため騒音問題などを鑑み、決断を下しました。
二〇一八年には大阪を直撃した台風二十一号による被害で、工場が大きな被害を受け、初の営業休止の事態に。
二〇一九年には創業一〇〇周年を迎え、新たな飛躍を目指す当社。喫緊の課題は、特定フロンから地球環境に優しい自然冷媒への転換。そして慢性的な人手不足を解消するための、AIやロボット技術などを駆使した作業効率性の向上や労働環境の改善にも取り組みます。
「御利用者本位」「堅実経営」の理念のもとに、寳船冷藏は次の一〇〇年に向け挑戦します。

次の100年に向けて、
限りない挑戦のために。

時代に合わなくなった老朽化施設の解消を進め、2018年には堀江工場を閉鎖。この工場は当社発祥の地でしたが、市街中心地に立地しているため騒音問題などを鑑み、決断を下しました。
2018年には大阪を直撃した台風21号による被害で、工場が大きな被害を受け、初の営業休止の事態に。
2019年には創業100周年を迎え、新たな飛躍を目指す当社。喫緊の課題は、特定フロンから地球環境に優しい自然冷媒への転換。そして慢性的な人手不足を解消するための、AIやロボット技術などを駆使した作業効率性の向上や労働環境の改善にも取り組みます。
「御利用者本位」「堅実経営」の理念のもとに、寳船冷藏は次の100年に向け挑戦します。

2018

堀江工場 営業廃止

シンボル的存在であった堀江工場

2018

台風被害

  • 浸水被害

  • 車両被害

2019

港工場に省エネ型自然冷媒機器導入

港工場(ラック館)「 脱フロン・低炭素社会の早期実現のための省エネ型自然冷媒機器導入加速化事業 」を完了。

2022

南港工場に省エネ型自然冷媒機器導入

南港工場(新館)「脱フロン・低炭素社会の早期実現のための省エネ型自然冷媒機器導入加速化事業」を完了。

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